「僕ヤバ」について語るときに僕の語ること
2025年のゴールデンウィーク、私はとんでもないアニメ作品に出会った。名前だけなんとなく知っていて、Amazonプライムのレコメンドにも見え隠れしていた程度だったが、ほんの気まぐれ1から一気見してしまったが最後–––––私は廃人となった。
というのは若干誇張であるが、心情的にはあながち間違いではない。作品のストーリーに、世界観に、声優さんの演技に、一瞬にして心撃ち抜かれ骨抜きになってしまう感覚は随分久しぶりだった。そして、このアニメについて考えれば考えるほど浮かび上がる、原作者・アニメ制作陣の仕組んだ巧みな仕掛けの数々・・・これは単なるラブコメでも青春群像劇でもない。長くなると思うが、お時間のある向きはお付き合いいただきたい。
都合上、アニメ本編を盛大にネタバレしているので未視聴の方はご注意を。そして作品の性質上下ネタもそこそこあると思うので、苦手な方はブラウザバック推奨。
なぜ今更…?
アニメの第二期が昨年度(2024)の春アニメだったので、それからもう1年以上経過している。実は存在は知っていたが、タイトルから勝手な思い込みをしていて見る気が起こらなかった。冴えない陰キャ主人公が、棚からぼたもち的な感じでなんかよくわからんけど学校一の美少女と仲良くなって 、そしたらその美少女がヤバいやつで2、強気でサキュバス的で主人公を支配・束縛しようとしてきて、まぁなんだろう可愛くてエロいからこの子に振り回されるのも悪くないか、的なノリで思うがままに手のひらで踊らされて、あとはなんか知らんがイチャイチャちょめちょめする、オタクの願望ダダ漏れご都合主義ラブコメの権化みたいな、見たところで多分半分も耐えられずに切るパターンのアニメなんだろうな、とサムネだけで決めつけていたのをここに認めたい。
知っての通り、「僕ヤバ」はこれまでのラブコメアニメを過去にする3。何をして私にそこまで言わしめた作品なのか、思ったことをひたすら綴っていきたい。
リアリティ、ディテールの追求
karte1~12(アニメ1期)を一気見して、二人の恋の進展にドキドキバクバクしつつも、なぜか胸の奥がキュッと締め付けられ、何かざらっとしたものでまだ乾き切っていない傷を撫でられるような気持ちになった。そして、それがなぜかをひたすらに考えていた。
この疑問に対してまだ完璧な回答を出せたわけではないが、「僕ヤバ」が徹底したリアリティを追求しているからなのかなと考えた。フィクションであることを認識しているつもりでも、フィクションが実際の記憶に置き換わり、市川の中学生活を同じ目線同じ感情で追体験している気分にさせられる吸引力があった4。もはや儚く朧げだった中学時代の記憶が、急に鮮明な色彩を持って目の前に現れたかのようだったといってもいい。市川に見る、思春期特有の痛たしさと弱々しさは私も例外でなく心当たりがあるので、心当たりがある向きは僕ヤバで「地雷」を踏まれないように注意されたい。
主人公の市川京太郎くんは、中学受験での失敗をきっかけに自信を失って根暗男子になってしまう5というなんともありがちな中学生です。浅薄な自尊心と中二病を鎧に周囲の人間を見下し、友達は一人もおらず、学校にうまく馴染めず休みがちでもあった。
市川の厨二設定はサイコパスとかシリアルキラーとかグロとかの方面。しかし、足立らある意味フツーの男子中学生の例に漏れず、目黒区一の美少女であるクラスメイトの山田杏奈のことが気になって仕方がない。彼女は市川の脳内で日々殺害されその屍体を妄想しては性的なエネルギーを発散している6。自身がシリアルキラーやネクロフィリア(屍体愛好家)という設定7におくことで、中学生男子誰もが抱く卑近な欲望と、屈折した自尊心を同時に満たすことができるのだ。
周辺キャラクターのデザインが特に丁寧な仕事で、彼ら彼女らがリアルな存在であるからこそ、市川と山田が生き生きとした生身の人間としてグッと身近に感じられるのはすごいと思う。足立のような頭の中がHなことでいっぱいのバカ男子8はいい味出してますよね。2期後半の市川は足立に対して結構ズケズケとした物言いをするようになるなど、彼にとっていちばんの同姓友達になる物語上のキーパーソンです。
クラスの一軍女子グループのバランス感は本当によく考えられていて、一軍女子たちの市川、足立との距離感は生々しいほどリアル。常に可愛い子(山田)とスキンシップというか物理的に張り付いている小林、色恋方面に命を燃やしている小悪魔系女子の萌子、不器用ながらはっきりした物言いができ、それでいて気も遣えて面倒見がいい、グループの母的存在の吉田。学生時代、こういう感じの女子いたよな。そして、一軍女子たちに絡まれる時の市川の感じ、中学時代イケてなかった芸人は共感性羞恥で死にたくなる9。
そして、女子グループ特有の距離感、原さんのようなタイプの女子と、山田以外の一軍女子グループが会話するシーンが一切ない10のも、またよく現実を観察されているなと思います。思春期の女子グループ、自民党の派閥並みに厳しい。私の記憶では女子グループの内情って大体ドロドロしているのですが、僕ヤバのキャラは基本的にみんな本心から他人を思いやれる子です。一方で、時々発生する女子同士特有のざらっとした感情の交錯も描かれているのはさすがだと思います。karte1でのポスター発表の場面、萌子が山田の作ったポスターを「汚かったから萌が描き直しといたよ」とドヤるシーン。アニメでは悪気があるのかないのかまでは読み取れませんが、山田に対して何かしら腹に据えてそうな萌子。萌子はたびたび市川に対して意図してか無意識なのか思わせぶりな発言や態度を取ることもあり、空気が悪くなるシーンも。原作をまだ読んでいない私ですが、萌子と山田の間には今後一悶着あってここでのフラグが回収されそうな気配です。
ニッチなところで言うと、2年次の担任である前田先生が好きです。足立のような素行の悪い生徒は何を考えているのかすぐに分かりますし、自然と手がかかるので教員との距離が近くなりがちです。一方で市川のようにおとなしくて何を考えているのかわからないが成績は悪くなく手がかからない生徒に対しての方が、先生はやりづらいのではないか、というのは昔から感じていることです。karte11にて、前田先生が骨折した彼に頼れる友達がいないのではないかと気にかけるシーン、短いながらも先生の生徒への愛が伝わる名シーンです。「山田、とかどうだ?」と恐る恐る市川に手を差し伸べるシーンは、なんとなく懐かしいものを感じたり。そして、先生が山田をチョイスしているのは、劇中では描かれていないものの担任として何気に市川のことを気にかけている、何よりの証拠でしょう。karte18では卒業式の送辞という形で市川が自分の殻を破るチャンスを、さりげなく与えます。ちょっと事情を抱えた生徒って、2年連続で同じ担任になったりするものですが、市川の変化をちゃんと見ていた先生は「彼はもう大丈夫」と判断したのか、3年進級時には市川との相性が若干心配になる守屋先生のクラスに振り分けられているのも芸が細かくて、こちらも中学生たちの成長が陰ながらもちゃんとした大人によって支えられていることを印象付ける場面です。
ここまで「僕ヤバ」は現実味を丁寧に反映しているみたいなことを書いていますが、それは細かい部分を切り取ってみた時の話で、全体的にはラブコメらしい「そんなわけあるかい」もふんだんにあります。原作者の趣味が遺憾なく発揮されたラッキースケベやちょっと過激なイチャイチャシーン、山田と山田一家のやや常人離れした体格というかプロポーション11など。でも、他の部分が緻密に作り込まれているからこそ安心してコメディーシーンを安心して見られるわけで。決して全てがイマジナリーなわけじゃない。僕ヤバはリアル(シリアス)とコメディのバランスが本当にちょうど良い塩梅で、ここがめちゃ好きポイントなんですよね。
メタファー
アニメ僕ヤバの特徴といえば、二人の中学生らしい初々しいやり取りに終始胸キュンの嵐、体温まで伝わってきそうな初恋のドキドキ感。何も考えずに見るとそういった感想になるかと思いますし、それがこの作品の醍醐味であることは論をまちません。でも、私がここであえて主張しておきたいのは頻繁に登場するアイテムとそれらによるメタファーです。僕ヤバは村上春樹顔負けのメタファー作品です(断言)。
山田が常に持ち歩いているお菓子は、メタファーとして最も分かりやすいかと。市川に対して、最初に渡したのはお菓子の「ゴミ」。食い意地の強い彼女が、ちょっと気になっているけれどもそこまで仲が良いわけでもない1期当初の市川に渡せるものは、せいぜいお菓子のゴミでした。この頃はまだ山田に恋愛感情はなく、市川を単純に揶揄っているのか、距離が測れない相手と仲良くする手段なのか。回を進めるとだんだんプルーチェの味見12やパピコのアレの交換、チョコミントアイス、とだんだんグレードアップしていくのがなんとも憎らしい演出です。市川や原さんに対してあげていたお菓子も彼女なりの「お友達トークン」なのでしょう。
市川が山田に渡すものも二人の関係を表すアイテムとしてかなり象徴的です。最初に図書室で貸したカッターナイフ。鋭利な刃物、市川が自分の脆弱や自尊心を守るための御守りを表しているのだと思っていますが、あっけなく山田に「奪われてしまう」。後日カッターナイフは返してもらえますが、市川の恋心は奪われたまま。karte1のタイトルが「僕は奪われた」、カッターナイフのように鋭利なセンスが憎いです(言いたかっただけ)。
karte6にて職場見学の帰宅中で他のメンバーとはぐれてしまった山田と市川。自分のせいだと泣く山田に市川が渡した紅茶花伝。山田の市川に対する恋心が芽生える13超重要シーンです。この回では、見学先である秋田書店を訪れる直前に山田がフェアマ(ファミマ)でチキンとミルクティーを買おうとして小林に阻止されますが、その場面もちゃんと覚えていた市川。そして渡される、自販機から出したてホヤホヤの暖かい紅茶花伝。「花伝」の文字だけが見えるように映っていたのは何か意味ありげでしたね。そして、市川から初めてもらった紅茶花伝のペットボトルを大切に部屋に飾っている山田の健気さといったら。この辺りから山田が優勢だった攻撃は市川ターンに切り替わり、彼のうちに秘めた優しさを根拠とした、山田へのモテムーブが炸裂していく流れは見どころでした。
三者面談の回では市川ママと飴ちゃんを交換。山田とお菓子を交換した人は誰でも、山田にとって大事な人。お菓子が山田の「お友達トークン」になっているのでしょうね。大阪のおばちゃんかな?
僕ヤバは表現方法もすごかった。アニメ全編を通して、光、風、音、天気といった舞台演出が叙情描写として最大限の仕事をします。特に山田と市川が二人っきりになるシーンでは、「斜陽」が効果的に用いられており、市川にとって山田が世界を照らす「光」であり、「月」14のような存在であることの暗喩であるようにも思えます。karte1415で雪が降っていた理由は、お風呂、お鍋、そして山田とのアレコレの暖かさを、外の寒さを対比させるためだったり、市川の悶々とした気分をどんよりした雪雲で表していたのかなとか思ったりしました。
そういえば、音響監督の小沼則義氏が出演されていた YouTube にて語られていた内容がすごく良かったので、僕ヤバファンは必見です。僕ヤバを最大限楽しむには、ちゃんとした音響機器(スピーカーやヘッドホン)がマストであることがご理解いただけるでしょう。
登場人物のさりげない「行動」にもちゃんと意味が散りばめられている。これに関しては挙げればキリがないですが、あえていうならばkarte10のクリスマスデート回にて、山田が赤いマフラーを市川に巻くシーンが分かりやすいですね16。karte11での遠距離ビデオ通話、山田によるリモートコントロールのシーンなどは考察のしがいがありますね。
オマージュ
注意深く観ていないと気づけないかもですが、明らかなもの、私の思い込みも含めて他作品の影響が見え隠れしています。京太郎のLINEのアイコンはリゼロのレムで、これはレムのCV声優のオタクとしては嬉しい演出でした。どこかの回では、お姉の上着に調査兵団の腕章のようなロゴが映り込んでいましたが、これは確定演出かと17。また、先ほどの赤いマフラーはやはりエレンがミカサに巻いてあげたマフラーのオマージュでしょうね。帰り道、車両の中ではぐれそうになる二人を繋ぎ止めたのは、やはりマフラー(=二人の絆の象徴)でした。
karte7「僕らは入れ替わってる」はもろに『君の名は。』から着想を得たのかなと思えなくもない。さらに、2期後半で二人はお互いを下の名前で呼ぶようになるが、「名前」がやたらと印象に残るような場面18が多く、単にラブストーリーの文脈での関係の進展を表す以上に意味が込められているように思える。もっとも、両作品が共通の古典を作品要素に取り入れているため、これは必然であるという考え方もできる。
ここからは若干私の妄想ではあるのですが、僕ヤバを思春期の少年少女の成長ストーリーとしてみた時に話の流れや構成が、『新世紀エヴァンゲリオン』のTVアニメ版に寄せてきている気がしてなりません。その理由については、説明し出したらあまりに長くなったので次の記事に分けることにしました。
他作品からのオマージュは私が気付いていないだけでまだまだあるはずです。原作とアニメもう一周が必要そうですな。
僕ヤバは単なるラブコメではない
以上から、僕ヤバがあの手この手で市川と山田(あるいは山田と市川)の関係の変化を、あくまでリアルに根差した舞台の上で二人がイベントをじっくり積み重ねながら、細やかに描写されている作品であると語ってきたつもりです。しかし、玉石混交数多のラブコメアニメで目を肥やしてきたオタクの中には、そもそも市川が山田のようなカーストトップの女子から好意を向けられるという設定や、山田のキャラクターデザイン19などに都合の良さを感じるという意見もあるようで、理解できなくもないです20。逆を言えば、そうした設定の特異性というかオリジナリティをどう活かし、力強く納得感のある物語を構築できるかが、最近のラブコメアニメのヒットの鍵となっているように感じます。僕ヤバが多くの人の心を揺さぶって止まない理由は、突飛な設定やコメディ要素が強くありつつも、あくまで二人の恋路を細やかに描こうとする姿勢が作風の中心にあることだと思います。下ネタの多さに関しては人を選びますが21、中学生男子の恋愛という設定で見れば、性に興味津々な男子中学生のリアルとして許容範囲22。さらに、OP23/ED、劇伴、光と影(陰)など作り込まれた演出が、ストーリー全体に柔らかく瑞々しい雰囲気を醸し出しており、僕ヤバの魅力をさらに引き立てている点は特筆に値します。
観進めてもう一つ気づいたのは、僕ヤバは登場キャラの恋の行方だけではなく、他者との交流を軸にした内面の成長24を丁寧に描いた作品だということです。市川視点でストーリーが進行するため、市川が自分を客観視できるようになったり、自分の弱さを認められるようになったり、自分の気持ち(告白以外も含めて)を他人に伝えられる勇気を持てたり25、と変わっていく姿が印象に残ったのはもちろんです。それと同時に、山田も外見や肩書きも相まって少し大人っぽく憧れの存在としての面が強調されていましたが、物語が進むにつれ彼女が内に秘めた26弱さが明かされていき、山田もまた市川を好きになったことをきっかけに変化していく、そして2期後半で恋敵として立ちはだかることになる南条先輩や足立も決してヒール役で終わることなく、それぞれきちんと内面が描かれていたのは好感が持てます27。僕ヤバは単なる恋愛ものというより、他者を好きになり自分を好きになる、そういう過程を描いたお話なのかな、というのが私の中でのいまのところの結論です。
まとめ
なんだかまとまっているようでまとまっていない読書感想文のようになってしまいました。後から読み返して思いましたがなんか批評家気取りなのが気恥ずかしいですが、このまま全世界に晒すことにしました。
時期は未定ですが劇場版の制作も発表されていて、今後のメディア展開からも目が離せません。アニメ2期後半がやや駆け足だったのは否めなく、アニメ勢の私は市川の脱皮スピードに置いてけぼりになった感があるので、原作からカットされた場面も多いのかなと推察しています。今期のボーナスの使い道は確定した模様です。
僕ヤバはいいぞ。
- 嘘です。普通に羊宮妃那さん出演作品が気になっただけです
- ここまでは合っている
- ちょっと言い過ぎか
- 屈折した思春期を送った人には、結構グロい
- 東京の子供は大変だなといつも思います。一方田舎の小学六年生は、犬のフンに木の棒を差して走り回ったり、青大将をいじめたりを経験しながら、何の疑いもなく決めらめた学区の公立中学に進学します。
- ちなみになぜ彼がこのような嗜好に陥ったかを解説すると、自意識が肥大化した思春期の男子はちょっと知恵がつくと、自分は人とは違うと思い込む生き物だからである。クラスの美少女を好きになったり性的な目で見てしまっている事実を素直に認めることはできない。なぜなら、特別な存在であるはずの自分がクラスメイトの他の男と同次元の思考であることを認めてしまうことに他ならないからだ
- あくまで本人の思い込みである。酒鬼薔薇聖斗的な向きでは決してない。
- 基本、どの公立中学校にもいるタイプ。絡まれると面倒ですが、裏表がなくて根は優しい
- 絶対好きじゃない男子にも思わせぶりな行動してくる一軍女子、居たよね。彼氏いても平気でそういうことしてくる女子もいるので、現実はもっとグロいです
- karte22あたりで原さんがカンカン(怒りの度合いではなく、安堂カンナの方)にガチギレするシーンくらい
- 山田パパ、肩幅どうなってんだよ…
- これに関しては原作者がTwitterで言ってましたが、ただエロシーンをやりたかっただけの可能性も
- 恋愛感情の自覚がお互い時間差で現れるのが好きすぎて…
- karte11を観られたい
- 市川が山田家にて、色んな意味であったまっていく回
- 解釈は人それぞれですが、マフラーを巻いた頃で下を向けなくなった、というところから推測ができます
- 第2期のOP演出にはアニメ進撃の巨人でお馴染み荒木哲郎氏、WIT STUDIOが関与しています
- 2つの告白シーン、背丈の印、誕生日回など
- モデルや俳優業のお仕事をしていること、中学生離れした恵体、尋常でない食への執着
- ある程度は商業作品の宿命ですし、そこまでリアリティを求めるならアニメでやる意味なんてなく3次元の俳優さんが演じるドラマでも観てればいいんじゃないかと思うところはありますが、この話はまだ別で。
- お茶の間で観れるかと言われると多分無理
- 小学生時代、数々の下品な言動や行為を先生に咎められ、学級裁判にかけられた黒歴史を持つ私に比べればだいぶマシです…
- 1期OP曲、ヨルシカ『斜陽』と2期OP曲、あたらよ『僕は…』は同じアニメ作品の主題歌としてはかなり曲調が違うように感じます。『斜陽』の方はミディアムチューンというのでしょうか、落ち着いたテンポでかつ歌詞も叙情的な表現が中心です。「頬色に茜さす日は柔らかに爆ぜた」なんて素敵な表現なのでしょう。『斜陽』は歌詞が本当に良くて、表現の隅々にまで川端康成顔負けのセンスを感じます。一方の『僕は…』ですが、アップテンポでドラマティック、歌詞はストレートで分かりやすい叙事表現が中心であることがわかります。サビでは主要キャラによるペアダンスもありますし、なんだかミュージカル的です。つまり、どちらも(おそらく)市川目線でのポエムでありながら、曲の感じが対局に近いのが面白いです。2期では市川の人間関係がグッと広がり、新キャラとの出会いも多くあり、1期よりもドラマチックというかドラスティックなシーンも多い。そういった違いを反映してなのでしょうか。そしてOPの映像もメタファーのようなものが散見されますが、これについての考察は長くなりそうなので別の機会に譲ることにします。
- 「成長」という言葉はどこか押し付けがましくて、実はあまり好きではないので使いたくなかったのですが。ポジティブな変化と読み取っていただければ幸いです。
- 書いてたらどれも私自身にないものだな、となってしまった
- 友達の前では明るく気丈に振る舞っているが、山田ママや京太郎の前では嗚咽するシーンが度々ある
- 修学旅行回で京太郎と足立が売り物の刀で戯れあうシーン、尊くて良かったです…